大船軒
おはようございます、このブログが始まった2008年当時の湘南ベルマーレトップチームでコーチをやっていた浅野哲也さんが、2009年に曺貴裁ユース監督と役割を交換するかたちでユース監督に就任する際に、その浅野哲也さんの次女が宝塚音楽学校で尋常ではない高さの評価を受けているということを知り時々チェックをしていたのですが、どうもトップスターまでに踏むべき実績を2019年の「お試し主演公演」で全て揃えるらしく、もう「浅野哲也の次女が礼真琴」ではなく「礼真琴の父が浅野哲也」としないと結構ファンがいらっしゃる星組2番手礼真琴さんに失礼だなあと思った、チャリ通です。もし2020年東京オリンピック前にトップスターに昇格できた場合、近年数少ない「20代でのトップスター昇格」にも礼真琴さんはなります(宝塚歌劇団は年齢非公表ですが年齢がバレている)ので、その後のキャリア形成にも有望です。そしてこのブログの古参感もあると言えます。
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札幌戦の前に大船軒(おおふなけん)の駅弁をいただきました。
JR各社では国有であった鉄道省時代から指定業者に駅弁を販売させております。神奈川県内では、
川崎駅-戸塚駅、桜木町駅-本郷台駅:崎陽軒(シウマイなど)
大船駅-茅ヶ崎駅、北鎌倉駅-久里浜駅:大船軒
平塚駅-湯河原駅:東華軒
(南武線・鶴見線・横浜線・相模線・御殿場線での販売はありません)
(小田急電鉄も新宿駅などで3社の駅弁を売っております)
(平塚駅も3社の駅弁を売っております)
という縄張りで主要駅限定で駅弁が販売されており、そのうち東華軒は過去に記事化をしております。
昭和30年代まで物理的に6時間以上鉄道に乗らなければ移動できない地域が全国にたくさんあったため、明治時代に宇都宮駅で販売されたおにぎりを先祖として全国に駅弁が発売されておりました。しかし1964年東京オリンピック直前に東海道新幹線が開業して以降、新幹線の延伸、飛行機や高速バスの発達もあって、「ひとつの列車に乗り続けるのは大抵3時間まで」となり、さらに「乗り降り前に駅ナカ飲食店の利用」「直営コンビニのコンビニ仕様弁当」の促進もあって、21世紀では夜行列車や食堂車とともに駅弁は不要品となりました。
しかし明治から昭和にかけて各地でローカライズされた特色ある駅弁が、昭和の終わりにデパート(男はつらいよで吉永小百合さんが利用していた「貸間」をオイラがわからなかったように、デパートや百貨店という言葉も21世紀中に死語になりそう)の催事場などでたくさん売れたため、特色を出せたところだけですが生き残ることができました。JR自身も東京駅などに駅弁の旗艦店を設置して全国の駅弁をここで販売しております。
藤沢・茅ヶ崎までがベルマーレホームタウンだった時は遠慮していたのですが、大船駅のある鎌倉までベルマーレホームタウンになったので、ようやく記事化です。なおエリア内の駅ナカ蕎麦店も大船軒が運営しております。
大船軒の商品は色々ありますが、代表的なものは「大船軒サンドウヰッチ(530円)」と「鯵の押寿し(980円から1,280円)」です。
「大船軒サンドウヰッチ」はハムサンドウィッチとチーズサンドウィッチで構成されています。今年自分で材料買って作れば総額200円くらいで誰でも作れそうで何の変哲もありません。しかしこのサンドウィッチは1899年(明治32年)に駅弁として販売してサンドウィッチの日本普及に貢献した商品であり、これに使うハムを製造するために設立した「鎌倉ハム富岡商会」のハムは今でも茅ヶ崎から三浦にかけた地域御用達のハムで、歴史的意義のある駅弁です。何の変哲もなくなったことが日本の進化そのものであります。明治を感じてください。
鯵の押寿しはアジと酢飯を箱寿司にしたもので、バッテラに似ております。東華軒も同じようなものを販売しているため鯵の押し寿司は横須賀から東伊豆にかけた相模湾全体の名物になっております。小鯛の押し寿司も入ると値段が上がります。
札幌戦の前に「伝承鯵の押寿し」と「大船軒サンドウヰッチ」をいただきました。押し寿司は酢飯が効いていました。サンドウィッチは普通でした。鯵の押し寿司は相模湾名物であることは間違いございませんので、ビジターサポーターはどこかのお店の鯵の押し寿司を湘南戦の際にいただいてください。
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